30代の坂田氏が経営する「元祖紙やき ホルモサ」の歴史は、実は長い。初代が営業していた店の頃を含むと、60年近く愛され続けている。
初代からこの店を引き継ぐ前、坂田氏は解体業や空調設備・アパレル業など飲食とは別世界にいた。当時、初代が店を閉めることを決めた際、この味をなくすのは勿体ないと飲食業に飛び込んだ。当時の坂田氏の考えは至ってシンプルだ。「この味は美味しいから」「店にお客様がついてる」そして、「やるかやらないか」。
開業後、店が順調にいっていることもあり、坂田氏は2店舗目を上野に出店した。結果は6~7年で閉店。来店客のリピート率は高かったが、新規客の取り込みに苦戦した結果だった。その後、バイク便事業やネット販売など様々なことにチャレンジするも、なかなか成功に結びつかなかった。
そんな時、ホルモサのまかないで出していたラーメンが美味しく、これを商品化出来ないかと考えていた矢先に人形町の物件に出会った。物件を見つけた時、「これはやるしかない」とラーメン屋の開店を決意。当時資金が少なかったこともあり、一軒家だった物件を自ら改装し、2ヶ月がかりで店のかたちに仕上げた。
こうにして人形町にラーメン店「「ばしらあ」を開業したが、内装工事に時間がかかったこともあり、レシピは不十分。坂田氏いわく、「バタバタしたせいで走り出しをコケた。」
開店後、お客様が残していくスープを飲み、「味が濃かったか?」「しょっぱかったか?」と何度もスープのレシピを変えた。本当は他人が残したものを口にするのは嫌だった。それでも、ホルモサで使用しているタレをベースにしたこのラーメンを、何とか成功させたいという一心で改良に改良を重ねた。口コミサイトでコメントが入れば、そこに必ず目を通してコメントを返し、お客様に真摯に向き合った。
その結果、お客様の理解や応援の言葉を頂きながら、徐々に支持されるお店になり、経営が安定するようになった。開店当初は「倒産のイメージが見えてしまった」という人形町の「ばしらあ」だが、現在では口コミサイトで高評価を獲得し、多くの支持を得ている。
そんな坂田氏の事業意欲は再び高まっている。いつかは紙やきホルモサのタレを一商品として販売することを目標に掲げている。「(経営は)大変だよ~・・・」とかみしめるように言葉を発して、それからこう続ける。「見切り発車でもまずやってみろ」「どんどん挑戦して欲しい」「思い立ったら即行動」と。常に迷ったら立ち止まらずに考えながら進んできた坂田氏らしい直感型のコメントをこれから開業する人へ残してくれた。