高校卒業後、東京にある韓国料理の専門学校に進み、そのまま修行に入りし経験を積み重ねた。札幌市で23歳の時に故郷である日高の食肉協同組合の直営店を開店することになり、責任者として開店させた。3年後さらに自分のスタイルのお店を追求するために26歳で独立を決意する。目指したのは、当時札幌にもなかった焼肉プラス本格的な韓国料理の両方を楽しめるお店づくりだ。若かったこともあり、資金調達には苦戦した。また、“O157の流行”“BSE問題”“精肉の生食問題”と度重なる難題をたゆまぬ料理への研究開発を行い数々のヒット商品を作りだすことでマイナスをプラスに変え乗り越えてきたそうだ。継続の秘訣は?の問いに「好きだから!」と語り、好きだからこそお客様の苦情を積極的聞き込み、その意見に真摯に向い合い都度改善に結びつけてきたとのこと。経営理念は「時代を読み時代の価値観にあわせついていくこと。」だそうだ。今後は、舌のみならず体が喜ぶ料理の研究を続ける。後輩経営者には「一攫千金を目的に安易に入る業界ではない。信念理念を貫き通す覚悟をもってのぞんで欲しい。」と正直なエールを贈る。