学生時代はラーメンオタク。就職してからもラーメン食べ歩きを続けていました。入社間もなく岡山に配属になり、親ともあまり連絡を取り合っていなかったのですが、久々に実家に帰ったら、何と実家がラーメン屋になっていました。(父が開業)。驚きでしたが、その姿を見て「趣味だったラーメンを仕事にできるんだ。」と思いました。その後、就職5年目に退職して、名古屋に戻ってラーメン修業2年。そして、今から12年前、32歳の時に一号店「一刻屋」をオープン。ラーメンオタクとしての自分の目線から、新しい切り口のスープが必要と感じ、野菜をスープの主役に持っていこうと考え、試行錯誤の末に「玉ねぎ熟成スープ」を完成。おりしもラーメンブーム。目新しさもあり、マスコミもすぐに取材してくれた。ラーメンファンにも注目され、お店はロケットスタート。おかげさまで、一号店はオープン以来、昨対を割った事がありません。多店舗化のきっかけは、ある人との出会いからです。それまで、お店の秘伝の味は門外不出と考えていたのですが「分かち合えば分かち合うほど成功スパイラルにはいっていく」というアドバイスをもらった事で自分が変わりました。翌日から従業員に全部公開することを実践。スタッフのモチベーションはみるみる上がりました。お店を任せても売り上げ落ちなかった。それで安心して二号店「中華そばあおい」に取り組めた。さらに、東京で「つけ麺」に出会う。当時名古屋になかったので、自分なりの工夫改良を加えて、大須につけ麺専門店「フジヤマ55」をオープン。その後、名古屋市内にもう1軒つけ麺の店を出店し、全部で直営4軒に。その後、とある外食企業の経営者からラーメン店を出したいので手伝ってほしいという依頼があり、これもご縁と思って出店をお手伝い。職人でなくてもできるメニューや、運営システムの開発に取り組んだ。その後は、様々な方からのラーメン出店依頼が増え、海外からの要望もあって、今は世界に「フジヤマ55」が広がっていってます。