高校卒業後「調理」と「インテリア」のいずれかの道に悩む。東京で専門学校を卒業後インテリアデザイン業界で勤務し、23歳の時に家族が経営していた「土木会社」を手伝うため札幌に戻ることになった。32歳の時にもう一度「調理」の道を考え調理学校に入学し、先生の推薦により某そば名店での修業を始める。出会いに恵まれ全ての仕事を習得する機会をあたえれる傍ら「高級そば店」として名の通っている修業先の技術を駆使し、自分は「大衆に喜ばれる そば店」をやりたいと3年の修業を経て開業する。間もなく軌道に乗ったが苦難は何度となく訪れた。社員食堂のように来店していた大企業の事務所が移転した途端、売上は深刻な状況になった。すぐに近隣病院の出前で持ち直すが、その病院も閉院すると、またも深刻な事態になる。さらにワンコインランチの競合出店や景気の変動、何度となく苦難に苛まれるが「与えられた食材をいかに自分の技術で旨いそばをつくるか」「しっかりやりさえすれば上手く行く」と信じ、どんな時も仕事を楽しんでいたそうだ。その頃「チラシ制作の広告」が目にとまり、フリーペーパーへ折り込むことで徐々に売上も戻り開業から26年を迎える。「人との縁を大切にすることで続けてこられた」「これからも仕事を楽しみながら体が動く限り続けていきたい」と、やわらかい笑顔で語る。