元々、東京の石油関係のケミカルプラント設計会社に勤務していたが、オイルショックや戦争など自分の力ではどうすることも出来ない状況に左右される仕事だったことと、母親が函館でおでんのお店を兄と共に営んでおり以前から手伝ってくれないかと誘われていたこともあり、一念発起して修行させてもらいながら、いつか東京で飲食店を開こうと考え妻と共に移住した。 世はまさにバブルの入り口、隣接する料亭を買い取り新店舗を開業。師匠の傍で料理修行に励む日々を過ごしつつも経営が安定した頃、多額の融資を受け母と兄のおでんとお食事処の店を新築開業することとなったが、バブルがはじけ一気に経営が厳しくなり連帯保証人となっていた自分が返済を余儀なくされる事態となる。 各方面からの非情とも思える対応を受けるも何とか歯を食いしばり匙を投げずに頑張り続けた。あるとき学校給食の派遣事業を請け負うことになり、家族全員で精いっぱい働き続けた結果“山あり谷あり這い上がれないほどの谷底あり”という危機的状況から徐々に好転の兆しが見えてきた。そんな折、日々の努力の甲斐あって“ミシュランガイド”で道南唯一の2つ星を獲得したことで話題となり現在の継続に繋がっている。 経営者としても大事にしていることは“地道にやっていれば必ず良いことが起こる。お茶一杯にも心を込めて「永遠の師匠はお客様!」”と捉え苦しい時にも、「1人でも100人のお客様でも目の前の方に集中し喜んでもらうことが大事!」と考えているそうだ。これからの方には「好きなことならやっていける!お金は後からついて来る」とエールを贈る。 今後については従業員を含む後継者には自分の味のバランスを受け継いでもらうことを基本に時代にあった取捨選択できる事業継承の道を作っていく。