先輩経営者からのメッセージ

東京都の先輩経営者

大脇 盛弘

戦略的思考が生み出す、計算しつくされた繁盛

大脇 盛弘 ジャマイカレストラン(2013年開業 )

「子供の頃から食にしか興味がなかった」と話す大脇氏が歩んできた道は、 飲食畑ではなく、営業マンとしての道のりだった。

大学卒業後、飲食店の独立支援制度のある企業も受けたが、「飲食は後から出来るし、メーカーに就職しよう」とサラリーマンの道を選んだ。しかし、元々親が商売人だったこともあり、自分自身、いつかは商売人になることが当たり前の認識だった。

サラリーマンとして数社経験した後、ついに自身での飲食店開業を決意。 「開業してからでは身動きがとれなくなる」と、家も保険も引き払い、将来のメニューの引き出しをつくっておくために半年間世界を周った。帰国後はすぐに物件探し。物件は一度決めたら変えられないので、何度も頭の中でシミュレーションを重ね、慎重を期した。シミュレーションのおかげで、物件を見るだけで投資額が算定できるまでになっていた頃、現在の物件に出会った。

物件を決めてからは、工事期間込で20日間という異例の速さでプレオープンまで漕ぎつけた。その速さの裏には、看板メニューや厨房機器の安い購入先など、大脇氏が積み重ねてきたリサーチという努力がある。

「看板メニューは鶏肉。」そう決めたのはサラリーマン時代。鶏肉は仕入れが安くてメインにもなる。そこにメディアに対してキャッチ―な要素を取り込んだものを考え、現在のウリである”ジャークチキン”に辿りついた。

大脇氏がブルックリンダイナーを今の状態にするまでに、様々な戦略的施策があるが、一つ絶対的にぶれないことは「FLR=70%以下」を守ることだ。FLコストの他、家賃を含めた比率を70%以下にするため、時には自ら厨房に入り、ホールに立ち、スタッフに示しながら人件費の調整を行う。

原価も含め、こうしたコスト管理を”シェフ”任せにしてしまうと、シェフの言いなりになってしまうため、「必ず自分自身が厨房のことをわかっておかないと」と大脇氏は話す。

そんな大脇氏の今後の展望は、2月下旬に中目黒に2店舗目を出すが、その先は既に海外を視野に入れている。ベトナムでクラフトビールを作り、現在の店舗をビアバーに近い業態で展開することを検討している。大脇氏の今後の動向には、必ず「緻密な戦略」が付いて回るだろう。

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