松井氏の経歴は異色を極める。高校卒業後、千葉県で警察官として4年勤めるが、将来的に家族を見守れる環境を見据えて退職し札幌に戻る。「寿司屋」を営む叔父から「そば屋」を進められた頃、新聞広告に某名店の募集広告を見つけ就職し、そば屋としての修業が始まる。1人前になるまで10年必要といわれたが修業当初から「必ず3年で習得する」と誓っていたという。お店の許可をもらい、夜6時まで働いた後、他店舗にて無給で修業をする。その後ススキノに行き、店主やお客様から今どんな「そば」が求められているか?を、お酒を呑まず聞いて廻る毎日だったという。当初の誓い通り3年で修業を終え、地元屯田で開業する。開業時の苦労を聞くと意外な答えがかえってきた。「今振り返っても26歳の若造が、借地の上にお店を建てるなんてバカなことに融資してくれた国金に、夢をもたせてくれた方達に感謝しかない」「自分のそばに自信があるだけの人は、自分のそばの押売りになってしまう」「お客様や地域がどう思うか?が全てで、だから来てくれてありがとう、いらっしゃいませ、と言葉になる」「もう恩返ししかない」と語る。そば屋としての恩返しは、全国を飛び廻り厳選する食材選び、さらに自ら耕作して収穫もする、そうして手に入れた食材に出来る限りを尽くす。仕込みに一ヶ月以上かける「かえし」はまさに「行動力」「探究心」と「信念」があってこそだと感じた。今後も「恩返し」は飲食を通じたものだけでなく、地域の防犯や活性化など多岐に渡る。