料理人としていつかは独立したかった。日本で2年程修業した後、当時誰も成し得なかったスペインでの修業を敢行し3年間本場で経験を積み、東京で1年半、函館で2年程勤め1981年遂に一国一城の主となる。目指したのは「本場のスペインバスク料理と同じものを提供する“本物のお店”」だ。東京で勤めていた時に“飲食店は難しい、料理だけではダメで接客ホールがとても大切だ”と痛感していたので、初めから構えが違っていた。自信はなかったが、開店当初から順調に軌道に乗せることができた。借金しているうちは半人前と考え必死に働き3年で償却したそうだ。まるでゴムボートに100馬力のエンジンを積んだが如く働いたと当時を振り返る。当時から考えていたのは「お客様が求めているものを提供できれば必ず来てくれる。」ということで料理に対しては一切の妥協をせず、日本にないもの(生ハム、ソーセージ、パンなど)は自家製で作り、日本にはないスペイン野菜は畑で栽培して提供したのだそうだ。これまで継続してこられた秘訣は「やるべきことをやってきた結果」(①知識・修業に楽はない、人には出来ない勉強をすること②ホールを常にキレイにし、お客様が満足するサービスを提供すること)と静かに語る。料理人として大事にしていることは「偽物を作らない!」こと。 経営者として大事にしていることは「売上と利益が重要で、さらに社会の一員として雇用を創出し、しかもスタッフに家族を持つことが出来るだけの報酬を払うことが経営者の務め。」だそうだ。これから始められる人には「お金をもらう立場から、支払う立場になることをしっかりと認識し、何をするにも大変と覚悟を決め、軌道に乗るまで勘違いせず無駄遣いをしないこと」とエールを贈る。今後も“函館を日本一の美食の街にする”という目標に向かって様々な取り組みを積極的に行っていく。