中野氏は日本のバーの歴史を語る上で、避けては通れない一人である。
当時世間の憧れであったアメリカの生活を体験したい、という思いを胸に中野氏は大学卒業後単身一人で船に乗り込み、アメリカ・サンフランシスコへ上陸。想いは、「本場アメリカのカクテルを学びたい!」ただそれだけだった。
その後、カクテルの本場ニューヨークへ。当時日系の有名レストランだった「サイトーレストラン」でバーテンダーとして勤務。ある時は1日に700-800杯ものカクテルを作る。今にして思うと、この時の経験が今に役立っていると、中野氏は語る。
そうこうしている間にビザが切れ、中野氏はヨーロッパの各地を巡り、本場のバーの魅力を体に吸収していく。
そうして、日本に帰国後開店させたのが、湯島の当時は「ワイン洋(うなばら)」という店だった。
中野氏の温厚な人柄に惹かれた多くの常連客は、現在でも夜になると中野氏の笑顔と全国バーテンダー技能コンクールで1位に選ばれたオリジナルカクテル「白梅」を楽しみにお店を訪れる。中野氏は「本物のカクテルをもっと多くの方にリーズナブルで提供したい。それが想いなんです」と語る。
2015年2月。バーテンダーとして52年。新たに「Bar うなばら」としてリニューアルオープン。「80歳までは現役で頑張りたい」という中野氏の言葉に、新たな熱い想いと夢を
感じた。