日本料理の板前になりたいという夢は漠然ではあったが、子どもの頃からずっと持っていた。実家は、佐賀にあり、お世辞にも裕福とは言えず、学生の頃はかなり荒れていた頃もあった。
高校生の頃、日本料理店の修行をするなら、「やはり京都で修行をしたい」と思い、アルバイト先の結婚式場の料理長の伝手を頼って京都の料亭を紹介してもらった。
祇園の割烹なども含め、約8年間、京都で修行を積んだ後、妻の実家がある広島でホテルの日本料理店へ、その後、広島で名店と言われる料亭の料理長にも抜擢され、そこでも約8年間、身を粉にして務め上げた。
独立は考えていなかったが、スタッフが育ち、お店が軌道に乗って行く度に達成感や満足感は少なくなっていた。これからの将来、次のステップを考えたとき「自分のお店を持つこと」が目標へと変わり、ちょうど40歳のときに開業した。
開業してすぐは不安な状態が続いたが、テレビ局へ「開業までのドキュメント企画」を持ち込み、取材で追いかけてもらったことが功を奏し、初年度から繁盛店となった。そして今では、ミシュランガイドのミシュランプレートにも選出される名店となっている。
料理は、季節ごと、その日の仕入れごとによっても異なるため、看板メニューは特にないが、釜土で炊くお米を楽しみに来店するお客さまは多い。もちろん、料理の基本となる出汁にもこだわり、かつおは東京の築地から、昆布は、大阪の問屋から最高のものを仕入れ、塩と醤油だけで味を調え、香り高く旨味溢れる出汁に仕上げている。
最高のものを仕入れる理由、常に心がけていることがある。それは「お客さまに喜んで帰っていただくこと、そして、本物を使うこと」だと言い切る。
できるだけ良い食材を使っていきたい、良いものを召し上がっていただきたい、それによって満足していただく、もちろん、料理だけでなく、接客サービスや店の雰囲気も含めて喜んでいただきたいと考えている。
そして、その努力をすることで、お客さまはきっと帰って来てくれると信じている。お店の利益も一度きりのご縁で上げるのでなく、何度か通っていただける中で少しずつ利益が出れば良いという経営者としての考えもある。
多店舗展開などには興味はないが、人が育ってきたら、彼らを主役にお店を任せたいと願っている。実際、会社として新店舗を出店し、お店を任せ、後々譲るというかたちで店舗経営も行っている。
これから開業される方へのメッセージは「とにかく働くこと」。それは最低条件、成功された方の多くは人の倍は働いている、常に努力をしている、経験を積むことで後々の困難に立ち向かえるようになると自らの経験からの熱いエールを贈る。