現代表、3代目寛之氏の祖父は、ブラジル移民から、参戦の為に帰国し、終戦後、色々な職業を経験する中で、ある焼鳥店との出逢いにより、修業に入る。昭和42年、免許皆伝を頂き、家族の待つ士別市で開店を迎えた。屋号に込めたのは、“焼き鳥の原点となるお店”になりたいとの願いを込めてつけられたそうだ。2代目は、札幌のホテルに務めた経験があり、手狭となった士別本店の他に、札幌店を設立する為に、昭和60年頃、札幌に移住し、新店舗を開いた。3代目寛之氏は、生れた時から“焼鳥”が身近にあり、自分もいずれ、この焼き場に立つと漠然ながら考えていた。18歳の時に、お店に入り、修業を積み重ねてきた。焼鳥のメニューは、1品のみ!特徴は、“1本の串で、全ての部位が食べられる。”要するに、モモ、ムネ、内臓、子宮に至るまでの全てが、一本の串に打込まれているのだ。それ故、大量生産ができない為、一本一本思いを込めての手作業だ。唯一無二の品質を守り、時間と手間をかける事が、付加価値であり、気持ちが入るから美味しい串ができる。 “人の笑顔で酔って頂いて、楽しく、美味しく食べてもらいたい”との思いがこもる。あえてWEB上の宣伝は出さずに、顔を見て、声を聞いて、人の縁が繋ぐコミュニケーションを作る事が成功の秘訣と信じ、今後も、“味を守り、継続する”事を前提に、「人」を育てる取組みにも挑戦しながら、ジワジワと静かに、お店を伝え広める活動を行っていく。