アパレル店で8年勤めながら、深夜に飲食店でアルバイトをしていたことが飲食業を営むキッカケとなる。開業を考えていた当時、海外や東京でオイスターバーが注目されるようになり、産地でありながら北海道にまだ少なかった業態に今後の可能性を感じ、勉強を始める。北海道で初めてオイスターマイスターの資格を取得し、「食べ比べができる数種類の牡蠣」を看板メニューとして開業する。開業当初は大変なことばかりだったという。飲食関連企業に知り合いも少なく、物件を選ぶまでに1年近くかかったそうだ。その後も様々な営業がお店にくるが、人間関係ができるまで「なにが良く」「なにが悪い」を見極めるのがとくに大変だったという。「やってみないとわからない、ダメならそこからハンドリングして乗り切る」「そうやって続けていれば必ずチャンスはやってくる」と信じているという。また、スタッフにはあえて大変な状況や、弱い自分も見せるようにしている。それは「自分が弱みを見せなければ、周りのスタッフも弱みを見せてくれない」からとスタッフに対しての思いやりからくる行動だと感じた。今後の展望は、同業態での多店舗化、他業態での店舗展開、小売りや催事事業等、「まだまだやりたいことだらけ」と柔らかな表情で力強く語る。