元々銀座立田野で17年程修業を積み、大阪の百貨店内の出店の際に店長として赴任するも、娘が環境に合わず急性アレルギーを患ってしまったことをきっかけに、自然環境の良い地域の中で子供を育てたいと願うようになったが、雇われの身では難しいと判断し、土地勘のあった札幌での独立開業を決意した。今まで培ってきた甘味とそば、釜飯の中からそばを柱に据えた。ただオフィス街立地を考えたときに、ランチはある程度見込めたが、夜の時間帯での集客を考え、居抜き前店舗が居酒屋として営業していたときの固定客もいたことから、当時ではまだまだ世に出ていなかったお酒やおつまみも提供する「そば居酒屋」としてスタートした(元々江戸時代のそば屋は居酒屋の原点とも言われている)。開店後も研鑚を積むため営業終了後に3ヶ月程居酒屋に修業に入り腕を磨いたそうだ。継続してこられた秘訣は「無我夢中!必死!」家族を養うために研究を重ねとにかく働いた。休みの日は他店舖視察に回り、自分の味を研究し続けた。そして一度自分の味はこれだ!と完成した味は、決して変えずにいつ来ても同じ美味しさが出せるように努力を重ねたそうだ。今後は、創業30年を目標に後継を考慮しつつ日々美味しいそばを作り続ける。