昭和31年に両親が始めたお店を継いだ創業60年の老舗のすしそば店。元々は東京の警視庁で警察官として働いていた野嶋さんは、両親のお店がとても繁盛していたため、お店を継いでほしいと言われて旭川に戻り、寿司屋で修業をした後、後を継いだそうだ。
当時は公務員には無理だと言われたいたが、東京での務め人時代の経験があるからこそ、その気持ちを大切にサラリーマンの気持ちになって経営をしてきたと語る。東京では交差点に立ち、何度も行き来する出前の車をチェックして美味しいお店を探した経験から、出前の車は2台用意して、お店の名前が書かれた車をフル稼働させることで、たくさんの方の目につき、来店に繋げていったそうだ。
忙しかったからこそ、スタッフ不足には苦労した。12月31日が一番忙しく、過酷だったこともあり、辞めてしまう人や独立してしまう人など、経営者としては人材不足が一番の苦労だったと語る。
繁盛継続の秘訣は、時代の流れに合わせていくこと。初めは値引き合戦には参加しなかったけれど、今はランチは安くするなど、時代に合わせることでお客様が通い続けてくれているそうだ。
これから始められる方には、休みなくまじめに働いてほしい、と語る。野嶋さんも20年くらいは定休日もなかったそうだ。自由業はせっかくお金を稼げる場所があるのだから、経営が軌道に乗るまでは休まずにがんばってやった方が良い。とエールを送る。