高校卒業後、ススキノのバーで働いた経験を基に、20歳の時、個人事業でバーを開業、24歳頃までには3店舗を運営していた。その後、いずれ共に働くスタッフも、年齢と共に家族を築く事を想定して、家族一緒に来てもらえるお店を創りたいとの考えから、ススキノで飲食店を展開していた会社に料理修行に入り、約1年後、平成12年に初の居酒屋業態をOPENした。半年間、本当に苦しい時が続き、もう止めようか?と考えていた時、ご縁から、ある小学校の給食で使っていた銀色の食器が不要になったとの事で、譲り受けた事をきっかけに、自分達が給食で食べていた、揚げパンやラーメンなどの献立メニューを取り入れた所、TVメディアの取材が入った事により、客足が飛躍的に伸びた。それを期に、再来店へのより魅力的な提案を次々に打ち出し、軌道に乗せる。奇跡的な出来事に、「何が起きるかわからない!だからこそ足元の宝を大切にしよう」と考えるようになった。その後、年1店舗を出店する計画をたて、その為には、キャシュベースの考えを中心に、しっかりとした財務管理を行う体制をつくり、“スタッフ目線・顧客目線”を常に考え、また、“贅肉”をつけない“筋肉質”の経営を大事に、切り口の違う業態を、現在6店舗運営するまでに至った。ミッションは、「多くのお客様に有意義で価値ある時間を提供する」事と、「電気・ガス・水道・居酒屋!」として、自店の存在自体の簡易性・公共性を追求し続ける。