市内ホテルの中国料理店で修行し、今ある環境で投資を抑えレストランを開業させるため、運転資金作りの土台として平成14年に点心の製造工場「美点工場」を開業させた。
その流れもラーメン屋を営む両親の影響だと語る。工場はそのラーメン屋に隣接し、1店舗目の「海鮮中華 宮の森れんげ堂」の開業につながる。自己資金と政策金融公庫からの融資で始めたが、開業当初はお客様の来店も少なく、また山の方だからか、雪が降ると途端にお客様の足がピタリと止まったり、と厳しい状況だったと話す。お弁当の注文や百貨店でのイベント、おせちなどのお声をいただいたり外での売上が上がる中、胃を全摘出した方や病のため食が細く食べられるものがない、添加物が入っている食べ物を受け付けない、という方たちが、れんげ堂のお粥を食べたいと来店いただくなど「心と体の健康」をテーマに広東料理をベースにした中華料理を提供してきたことが、お客様に届いていることが本当に嬉しいという。そして平成26年、北海道神宮内の出店の話がきたとき、色々な制約がある厳しい条件の中でも決めたのは、 10年ほど前から、お粥屋さんをやりたい、出来れば神様のお膝下である北海道神宮でやりたい、と思っていたからだという。経営者としては、その決断は甘いと思ったが、それでもやりたい、と踏み切った、と話す。
その想いは熱く「ちょっとタレが、皿についた」とか「ちょっと味が・・・」などという『ちょっと』などにも料理人として味付けや仕上げなどへのこだわりを持ち、少し待っていただいてでも自店での最高を尽くし、評判を下げることはしたくないと語る。
店名の「れんげ堂」の“れんげ”は、そのカタチが蓮の花びらから由来することからきていること、また蓮は東南アジア地方で祝いの花とされていることから。「白鹿食堂」は、白鹿が神様の使いということから店名としたという。
料理人として店を運営してきたが経営が難しいことを、つくづく身に染みて、今までの状況を、これから同じにはしたくない、経営の勉強をしていきたい、と話しながら、「石の上にも3年」という言葉があるが、本当に何事も、その通りだと、これから出店される方へメッセージを語りながらも自分へも語りかけ続ける。