元々、大阪の堺市で先々代が開いた「登仁角」。先代の頃にお好み焼店に業態転換し、地元で成功を納めた。
父の店を手伝いながら高校生まで堺市で暮らした米川氏は「絶対継ぐものか」と大学から上京。その後20年ほどサラリーマン生活を送った後、父(先代)の介護のため大阪へ。次第に「この人の作り出したものを守って行きたい」と開業を決意するに至った。先代を看取った後、「この味を東京の人に食べてもらいたい」と東京で物件探しをスタートした。しかし、なかなか物件が出ないまま約1年。様々な想いが巡った頃、現在の物件と素敵な心意気の仲介業者に出会った。
開業後は、東京と大阪のお好み焼に対する文化の違いや、利益を残すための売価設定等…考え、苦労することが多かった。それでも先代の頃の「登仁角」を知るお客様が何人か訪れると、「のれんにキズは付けられん」と、より店を守る決意を固めた。
今後は多角化するつもりはなく、この店で三代目登仁角の名を広めて行くつもりだ。
最後に米川氏は語る。「”他人には絶対負けん!”と思う強力な武器がないと、飲食店の開業は厳しい。」商売人の家庭に産まれた米川氏からは、生半可な気持ちや甘い展望で飲食店の開業をすることを危ぶむ気持ちが強く表れていた。