店主の早川氏が22歳の頃、転機は訪れた。母親が働いていた近所の居酒屋が 閉店することになり、その物件を居抜きで取得し、店をやらないかと母親に相談された。
当時、イタリアン・フレンチ・スパニッシュなどの洋食の調理人として働いていた早川氏は、 「自分がこの店をやっていくんだ」という覚悟を決め、家族で経営をスタートした。
居抜き物件のため、業態は居酒屋。居酒屋で生き残るためには専門的な商品を入れたほうが良いと考え、当時仕入れルートがあった「もつ」をウリにすることにした。それから「もつ」について他店の調査をしたり、勉強をし、開業を迎えた。
「新鮮な旨いもつを食べさせたい」と、今でも市場に自ら仕入れに行っているほど、看板商品の「もつ」に対する思い入れは強い。これがこの店が長く愛されている大きな理由だろう。
しかし、今のように順調な状態がずっと続いていたわけではない。開業から数年後、世間が不況になると共に常連だった周辺の企業がどんどんと減っていってしまった。その当時、親と弟と店舗を運営していたが、自身の家族含め、「このままでは全員が食べていけない」と弟に店舗を任せて自ら店を離れて他店に働きに出た。その後、15年程経った頃に弟が病気になってしまう。それをきっかけに店に戻り今に至る。
現在の状況だけ見れば口コミサイトで高評価をもらい、30年以上地元で愛され続けている人気店だが、やはりその陰には一言で語りつくせない様々な出来事があったのだ。
早川氏いわく、「飲食限らず色々トラブルは起こる。しかしトラブルがあるから今がある。トラブルを楽しめるくらいにならないと。」と。この言葉の背景には、「飲食店を開業するからには”この店でやっていく”という覚悟を持ち、決断をすることだ。」という強い想いがある。「店が今繁盛していることは自分の信念を継続した結果だ。」と強面な表情で語る早川氏だが、すぐに「そんなカッコイイ言葉じゃないんだけどね」と顔がゆるむ。
口コミサイトの影響か、最近では遠方からのお客様や女性の一人客も増えた。そんな初めての人には少々入りにくい雰囲気の店だが、早川氏は自ら声をかけるようにしている。それでも、忙しい時にはあまり話せなくて申し訳ないと反省することもあるそうだ。そんなお客様想いの「料理人」だからこそ、口コミで評価が広がっていくのだろう。